冬の曳航 作:桑原亮子(FMシアター)
鎌倉時代。
熊野の地から、ひとりの僧が浄土に旅立とうとしていた。
浄土といっても比喩ではない。
三十日分の食料とともに、艪や櫂を一切持たない「渡海船」に閉じこめられ、黒潮の流れに乗るのだ。
流された先の南方には極楽浄土があるという。
本当だろうか?わからない。
はっきりわかっているのは生きて帰ることはできないということだけだ。
民衆の願いのため身を捨てることを選んだ、この僧・浄定に対し、民衆は尊崇の念を惜しまない。
しかし、当の浄定には一つだけ心残りがあった。
それは、京の都で薬師になるために修行している捨て子の少年・捨三と言葉を交わしたかったということ。
死に行く自分だからこそ、母を人柱にされた捨三に掛けられる言葉があると考えたのだが…