格付:B

格付:B

踊る21世紀 Part2 作:藤井青銅(青春アドベンチャー)

本作品「踊る21世紀 Part2」は1994年から制作されてきた藤井青銅さん脚本のオムニバスコメディラジオドラマ「笑う・踊る」シリーズの最終作になります。藤井青銅さんと言えば1993年から(関連作品を含めると1991年から)2009年まで毎年年末に放送されたショートコントシリーズ「年忘れ青春アドベンチャー・干支シリーズ」が有名なのですが、この「笑う・踊る」シリーズもなかなかの長期シリーズでした。
格付:B

レディ・トラベラー1920 作:小林雄次(青春アドベンチャー)

冒険家として世界を渡り歩いた叔母のバーバラ・マーキュリーは他界から1年たった今でもジュリーのアイドルだ。大英博物館でアシスタントキュレーター(学芸員)をしているのも叔母をリスペクトすればこそだ。だけどジュリーの本当の夢はキュレーターではない。伯母と同じようにジャングルを旅し、川でヒルに血を吸われ、凶暴なワニと戦い、人肉を食べる恐ろしい部族とも交流すること。保護者である叔父は許してくれないけど。でもジュリーは見つけてしまったのだ、叔母の残した手記を。そこには叔母がオランダ領東インドにあるジャクラ島で体験した「私の生涯、最も印象深い旅」について書かれていた。巨大な翼、真っ赤に光る目、鋭い牙、長いしっぽ、見上げるような巨体をもつ、伝説に言うドラゴンそのものの怪物に出会ったというのだ。
格付:B

太秦ムービースター 作:滝本祥生(FMシアター)

さすが太秦(うずまさ)、映画の街。高校の夏休みの課題がショートムービーづくりとか、優秀作は学園祭で放送されるとか。でも、転校して3か月の私のとっては迷惑でしかない。友だちがひとりもいないのにどうやって映画を作れというのか。でもひとりのクラスメイトが声を掛けてきた。彼女曰く「この映画で人気者になって、一緒にこの虚しい日陰人生から脱出しよう!」って……うざい。面倒くさい。しかもはずみで私のおじいちゃんが元俳優だと洩らしたら、おじいちゃんを主演にするとはしゃぎだす始末。仕方なくおじいちゃんに出演交渉したら言われてしまった。「ギャラはなんぼや。」最悪…何もかも最悪…
格付:B

ウィッグ取ったらただの人 作:伊勢直弘(青春アドベンチャー)

「でもシュンキ君、ホントすごいよなあ」なによ…「目力強くて、細マッチョ。で、顔も声もアクションもキャラに寄せてて、なおかつあの青のロン毛が似合うって!」やっぱりそれか…「マジで奇跡の再現度!!」そこじゃねえよ…お前と違って俺はちゃんと演技してんだから演技褒めろよ…このままじゃ俺はいつまでたっても「2.5次元の人」。ちゃんとした俳優として認めてもらえない。俺にとって2.5次元はもはや足枷だ。なんとかしないと。
格付:B

恐怖の館・欧米編 原作:ジョン・ポリドリほか(サウンド夢工房)

1990年8月に「サウンド夢工房」の中で3週に亘って放送された「ダミーヘッドによる恐怖の館」。その第2週目がこの「恐怖の館・欧米編」でした。演出家は第1週「日本古典編」の笹原紀昭さんから上野友夫さんにバトンタッチ。脚本や音楽、出演者もガラッと変わり雰囲気も一新。ホラー作品を1話15分完結で放送するという基本フォーマットは変わりませんが、作品印象は「日本古典編」とはほぼ別と言って良いと思います(ちなみに翌週の「日本現代編」の雰囲気もまた違います)。
格付:B

恐怖の館・日本古典編 原作:小泉八雲ほか(サウンド夢工房)

勝手ながら「青春アドベンチャー七不思議のひとつ」と思っていることがあります。それはホラー作品が極端に少ないこと。ラジオドラマってホラーにあっていると思うんですよね。特にダミーヘッド録音を使って耳元で囁かれたら!でも実際には、本作品が620番目となるこのブログにおける作品紹介の歴史で、ホラーに分類した作品は本作品を含めてわずか16作品(2.6%)。
格付:B

産後途中下車 作:池谷雅夫(FMシアター)

こんなはずじゃなかった。確かに産休前にはこういったわ。「私は子育てが楽しみ。育休中は専業主婦、頑張るからね。ちゃんと良いママになってこの子に愛情を注ぎたいんだ。もちろん安夫の奥さんもしっかりやるわよ。」でもあなただって言ってくれたじゃない。「がんばり過ぎないで。洋子は頑張り屋だから仕事も家事もよくやっているけど。全部何でも一人でやろうとするからさ。僕もやるときはやるからさ、言ってよ。」それなのに、靴下を洗濯かごに入れて欲しいと言うことになんでこんなに気を使わないといけないの。確かに言ったわよ、「うちのことは私に任せて、お仕事頑張って。」って…だけど。
格付:B

ビギンズナイト 俺たちのカウント2.99! 作:虎本剛(FMシアター)

高崎弘毅はチャンピオンだ。それは単にベルトを巻いていることを意味しない。プロレス人気が再燃した今でこそ会場は満員だが10年以上前はガラガラ。人気もなかった。そんな時代から高崎は、どんな攻撃にも逃げずに、受けて、耐えて、みんなを勇気づけてきた。本当の勝利は弱い自分に打ち勝つこと。自分の姿を通じて見せてきたその精神こそがプロレスの象徴、そういう意味で彼こそ真のチャンピオンなのだ。いやチャンピオンだった…高崎ももう42歳。売り出し中の若手カザマ・チカノリに負けたばかりか、選手生命を危ぶまれるほどのケガを負ってしまった。高崎の時代も終わり。そう囁く声も聞こえ始めたのだが…
格付:B

カウント2.9! 作:虎本剛(FMシアター)

今日も謝ってばかりだった。上司は「顧客の問題を解決するのがコールセンターの仕事だ」というけれど、私にとっての仕事は謝ることでしかない。毎日、ストレスで押しつぶされそうだ。そんな私を見かねて、大学で同じゼミだった南陽介が声を掛けてきた。「俺、今スポーツ新聞の記者やっててチケットが1枚余っているんだけど、明日一緒にスカッとしない?」チケットって何?プロ野球?ちがうの?聖地・蔵前ホールってどこ?「プ女子」って一体?
格付:B

また逢う日のうた 作:東多江子(FMシアター)

天袋の奥の古い柳行李から母・千代の日記が出てきた。不揃いのワラ半紙を麻ひもで綴じたその日記は、昭和19年10月25日、弟、隆造との別れから始まっていた。昭和19年、韓国が日本の植民地だった頃。京城(今のソウル)に住んていた姉は結婚を控えた21歳、学徒出陣した弟は京城帝国大学の学生だった。別れ際に、弟の吹くハーモニカで敵性音楽の"My Blue Heaven"を歌い再会を誓った姉弟。ごく普通の日本人姉弟が戦中・戦後にどのような青春時代を過ごしたのか、母の日記を通して息子は知ることになる。
タイトルとURLをコピーしました