世界から猫が消えたなら 原作:川村元気(FMシアター)

格付:B
  • 作品 : 世界から猫が消えたなら
  • 番組 : FMシアター
  • 格付 : B+
  • 分類 : 幻想(日本/シリアス)
  • 初出 : 2013年7月20日
  • 回数 : 全1回(各回50分)
  • 原作 : 川村元気
  • 脚色 : 原田裕文
  • 音楽 : 世武裕子
  • 演出 : 倉崎憲
  • 主演 : 妻夫木聡

突然世界がひっくり返り目の前が真っ暗になった。
脳腫瘍。いつ死んでもおかしくないらしい。
絶望の中、目を覚ますと目の前に“僕”がいた。
正確には顔が僕そっくりで派手なアロハを着たハイテンション男。
彼は言う「私、あなたを助けに来たんです~
この世界からひとつだけ何かを消す、その代わりあなたは一日の命を得る。
簡単でしょ?うまくやれば永遠の命を手に入れられますよ~」
そう彼は“悪魔”なのだ。



本作品「世界から猫が消えたなら」は「電車男」、「告白」、「君の名は。」など多くの映画をヒットさせたことで有名プロデューサー・川村元気さんによる同名のデビュー小説を原作とするラジオドラマです。

悪魔と取引

作品内容は冒頭のあらすじのとおり、悪魔がやってきて人生の選択を迫る話。
これまで紹介した作品では「輪廻転Payうた絵巻」など天使がやってくる作品が多数ありましたし、「死神の精度」(死神)、「ネオ・ファウスト」(悪魔)、「赤川次郎の天使と悪魔」(天使と悪魔)などもありました。
まあファンタジーとしてはありがちな設定です。

何が消えるのか

当然、悪魔ですので延命と引き替えに取引を迫ってくるのですが、本作品で悪魔が要求するのは本人の魂ではなく、周りに存在する何か。「ベルセルク」系ですな。
消すものは悪魔が選択するのですが、世界はどうでも良いものであふれており、まあいいかと思わせてしまうところがミソ。
仮に大事なものであっても自分の命には替えられない、仕方ないということになっているのですが…

割とあっさり消えていく

個人的にですが、どうも釈然としませんでした。
確かに、命が助かるならチョコレートを食べるを永遠に諦めるというのは分かります。
でも、たかがチョコレートとは言え、世界中の人から永久に奪う決断をそんなに簡単にできるのかな?
親友の生きがいの映画をあっさりと消せるのかな?
世界中から時間という概念をなくすことを個人の決断でそんなにあっさり選べるのかな?
確かに自分の命が一番大事だけど、そんなことをしたら私だったら1日、2日で自責の念でノイローゼになりそうです。
それなのに本作品の主人公は割とカジュアルに決断してしまうのは何となく違和感が禁じ得ませんでした。

ファンタジーな職業

違和感と言えば、設定があまりにコテコテでリアリティーが薄いのも気になりました。
郵便配達員の主人公、映画館に勤める彼女、時計職人の父親。
まあストーリー展開上、それぞれに理由はあるのですがあまりにご都合主義。
映画館員(シネコンじゃないですよ)とか時計職人とか一体、日本に今、何人実在するのだろうか。

妻夫木さん大車輪の活躍

…などといきなり批判的に入ってしまったのですが、実は聞いていてこのような設定は実はあまり気にならず聞くことができる気持ちの良い作品であることも事実です。
その最大の原因はやはり主演の妻夫木聡さん。
この作品“僕”のモノローグがとても多いので、妻夫木さんが演じる嫌みのない普通の好青年な感じがとてもいいです。
一方、それと対照的に妻夫木さんが二役で演じるハイテンションの“悪魔”があまりにチャラすぎて最高。
本作品は妻夫木さんあっての作品だと感じました。
そして “彼女”を演じる朝ドラ女優の貫地谷しほりさん(2021年最後のNHK-FMオーディオドラマ「きみに微笑む、クリスマス」主演)や、父親を演じる國村隼さん、母親役の大沢逸美さん(うわー「王女アストライア」の時は少女役だったのに)も安心して聞くことができる。
特に國村さんは終盤しか出番がないのですが、ラジオドラマオリジナルのシーンはさすがの演技でした。

大きく再構成

そうそう、そういえばこの作品は原作と構成、台詞がかなり違うのも特徴。
もともとFMシアター50分の枠で、小説や漫画を丸ごと1本押し込めるのは至難の業で、「レインツリーの国」や「夕凪の街 桜の国」などもかなり大胆な構成変更をしていました。
本作も大きなストーリーの流れは変わらないのですが、レタス、ツタヤ、チョコレートあたりのエピソードがばっさりとカットされています。
一方、先ほど述べたとおり父親についてオリジナルエピソードがあったり、消えたものごとについての結末を加えるなど工夫も凝らしています。

間口を広げる脚色

そして何より大きな変更は、原作では、物事が消えた世界で多くの気づきを得た“僕”は「自分は世界の真実に気づいた!」的な中二病的なモノローグを延々と続けるのですが、その辺をかなり薄味にしていることです。
正直、人生の教訓や警句的なことを説得するように読ませる原作の展開は少々、読む人を選ぶと感じました。
本ラジオドラマは妻夫木さんや貫地谷さん(“彼女”もエキセントリックさは原作より抑え気味)の普通の若者の演技や、枠が短いことによるリスナー側の負担軽減もあり、万人受けする作品になっており、これは脚本家・原田裕文さんの功績だと思います。




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