- 作品 : ちはやふる奥の細道’89
- 番組 : FMシアター
- 格付 : B
- 分類 : コメディ
- 初出 : 1989年12月16日
- 回数 : 全1回(110分)
- 原作 : W.C.フラナガン(翻訳:小林信彦)
- 脚色 : 高木達
- 演出 : 斎明寺以玖子
- 主演 : 小林克也
日米が貿易摩擦で揺れる1989年に颯爽と現れた日本研究家若手ナンバーワンのアメリカ人、W.C.フラナガン。
「小津安二郎作品に見られる芭蕉的俳味(ハイミー)」、「素晴らしい日本野球」、「素晴らしい日本文化」などで知られるこの新進気鋭の研究者が今回挑むテーマはずばり松尾芭蕉の「おくのほそ道」。
彼によればおくのほそ道における芭蕉の旅には知られざる目的があったのだという。
それは「たったひとりの反乱」。
本作品「ちはやふる奥の細道’89」は、おくのほそ道200周年(旅立ったのが1789年だったため)を記念して、アメリカ人歴史家ウィリアム・C・フラナガンによる「おくのほそ道」の研究書をもとにして制作されたラジオドラマ……嘘です!嘘です!W・C・フラナガンなんて学者はこの世に存在しません!
大昔、私もこの作品を初めて聴いたときは訳がわかっていないかったのですが、W・C・フラナガンは上記では翻訳としている小林信彦さんのペンネームなのです。騙された…
小林信彦さん
さて、小林さんは東京高等師範学校附属(現在の筑波大学附属)中学・高校を卒業後、早稲田大学第一文学部を経て様々な仕事をしながら文筆活動を始めた方です。
その破天荒な?高校時代の姿は既に紹介した自伝的作品「背中あわせのハートブレイク」でも活写されているところですが、さまざまな文化への傾倒が深く、小説家、評論家、コラムニストとして活躍。
小説分野に限っても「オヨヨシリーズ」にようなパロディ性の強い小説から、ミステリー、純文学的作品まで多岐にわたる作品を発表されました。
本作品はその中でも「ユーモア・スケッチ」と称される真面目な文体で馬鹿馬鹿しい内容を記す作品です。
日本びいきだけど日本通ではない
本作のフラナガンは日本びいきの日本研究家という触れ込みの割には、言動はかなりいい加減で、思い込みに基づく誤解だらけです。
例えば、聖徳太子が1万円札をつくっていたとか、江戸時代の神田が古書店街だったりとか、詫(わび)と寂(さび)をあわせたものがワサビとか、日本人は貧しいのでキツネやタヌキを乗せた太いヌードルを食べているとか、ガッツ石松は森の石松の子孫とか、滅茶苦茶。
そんなフラナガンですので彼の松尾芭蕉論も、基本的には松尾芭蕉忍者説をベースにしつつ、相当に荒唐無稽です。
その何とも言えない微妙な勘違いぶりにクスりと笑いながら気軽に聴いていくのが楽しい作品になっています。
序盤は小林克也さん全開
作品全体を見ると、序盤は、昭和の名DJ小林克也さん演じるフラナガンのナレーションを中心に進行していき、フラナガンによるおくのほそ道の解説書的な体裁で、あまりラジオドラマぽくはありません。
というか小林克也さんの英語交じりのフラナガンの胡散臭いことと言ったら!
中盤以降は江守徹さんの出番
しかし、徐々に江守徹さんや、松島トモ子さん、小林勝也さんが演じるドラマパートが増えていき、こちらの劇中劇部分がメインになっていきます。
このドラマパートも主要登場人物であり日本史上の有名人物である松尾芭蕉と水戸光圀を両方とも江守徹さんが演じるというかなり思い切ったつくりで、結局こっちも誤解と曲解でできた珍歴史となっています。
なお、本作品、DJの小林克也さんと俳優の小林勝也さん(バードケージ、夢巻など)が両方出演されており紛らわしいのですが、最後の出演者紹介でそれもネタにしています。
なにはともあれ、ある意味、徹底したユーモア偏重の作品であり、その潔い割り切り方はなかなかのものです。
「ちはやふる」とは
ところで本作品のタイトルについている「ちはやふる(ちはやぶる)」。
勢いが激しいことを意味する言葉で、神や宇治の枕詞として有名ですが、なんでこの作品のタイトルについているんだろう?と長年の疑問でした。
調べると、古典落語の演目に「千早振る」というものがあり、百人一首の珍解釈をネタにした噺なのだそうで、珍解釈という共通項で「ちはやふる」としているようです。
なるほどそうだったのね。教養がないというの恥かしいものです。
ちなみにいうまでもなく競技かるた漫画とは関係ありません。
「ふたりの部屋」版との関係
最後に1点、もしご存知の方がいらっしゃったらご教示いただきたいことがあります。
本作品の約6年前の1983年11月28日から12月9日にかけて15分×10回で「ふたりの部屋」で同じ小林信彦さん原作の「ちはやふる奥の細道」が放送されています。
主演も本作と同じ小林克也さんのようです。
常識的に考えると1983年版を再編集したのが1989年版なのではないかと思うのですが、あまりにも時間が離れていますし、本作中で現在は1989年であることを明言しているので少なくとも完全に音源を再利用したものではないようです。
詳しい事情をご存知の方はいらっしゃいませんでしょうか?
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